消えたシンガーと企業の闇 ―興行ビザが“女の涙”に変わるとき
キャリアアドバイザー伊能あやめの事件簿Vol.40
2025.08.08
異なる人種、文化、価値観に触れる時
― 外国人って、どんな人たちなんだろう
― どんなことに気をつけたらいいんだろう
― 日本人や日本の文化をどう思ってるんだろう
などなど、不安や疑問に思うこと、ありますよね。
この記事は、実際に起きた珍事を元に、外国人雇用の現場に携わる人々の戸惑いを描き
「外国人材の皆さんと、どんなふうにコミュニケートしたらよいの?」
のヒントが隠れる、異文化理解の橋渡しを目的としたノンフィクションストーリーです。
キャリアアドバイザー伊能あやめの事件ファイルVol.40
消えたシンガーと企業の闇 ―興行ビザが“女の涙”に変わるとき
今日は元入管職員であるC氏から聞いたおはなし。
その女性は「歌手」として来日していた。しかし、私が彼女らと対面したのは、ステージではなく、雑居ビルの地下1階――照明も薄暗い、いわゆる“フィリピンパブ”の一室だった。
「また興行ビザです!!!」
ある年の暮れ。
C氏(以降、私)が働く東京入国管理局(入管)に1本の情報提供があった。その内容は『六本木の◯◯ビルにある店で、興行ビザの女性たちが“接客業務”をしている。契約と違うはずなので調査してほしい』というものだった。
興行ビザ(※正式には「興行」の在留資格)は、本来、プロの芸能人・パフォーマーが日本で合法的にステージ活動をするためのものである。クラブやライブハウス、劇場での出演が前提で、「接客行為」は明確な違反になる。特に2000年代前半、東南アジアから来日する“自称歌手”や“ダンサー”の多くが、実際にはパブやキャバクラで働かされていた事例が相次ぎ、社会問題化していた。
私たち職員はチームを組み、深夜の合同摘発に踏み切った。
雑居ビルの奥、ステージのない“ステージ”
21時30分、ビルの裏口に集合。雪が舞う中、私たちは警察と連携し複数フロアへの同時突入を開始した。
私が担当したのは、3階にある「Luna」という店だった。
ドアを開けるとずらりと並ぶ酒。強い香水とたばこの匂いが鼻を突いた。中には、7〜8人の外国籍と思われる女性がいた。一人が客の膝の上で談笑し、別の一人はカラオケの操作をしている。女性たちは全員ショート丈のドレスに身を包み、胸元には大きなアクセサリー、髪も派手に結い上げられ、ストレートヘアを腰あたりまでなびかせている者もいた。
「失礼します!入管です。皆さん、むやみに動かないで」
チームの一人が部屋の奥まで通る声で忠告する。
室内に一気に緊張が走り、皆の視線がこちらに集まった。どこそこにいた数名が慌てて立ち上がり、それぞれに着座し、中には泣き出す女性もいた。
「お手元の在留カードを拝見できますか?」
一呼吸置き、さっきより落ち着いたトーンで尋ねると、状況を察した女性が一人、また一人と休憩室と思しき部屋に入っていく。
私は彼女らを追いかけ、一人ずつ別室に呼び出しビザや就労状況を確認することにした。
調査してみると、そのうちの4人は「興行ビザ」での滞在者であることが判明した。事務所からの契約内容には「都内某ライブハウスでのショー出演」と明記されている…。だが、彼女らに聞いてみると、全員が首を横に振り、ショーへの出演などなかったと証言した。
現場にあるのはカラオケ機材と接客用のブースのみ。明らかに“虚偽の申請”による就労だった。
一通り調査を済ませると、店の裏手でリサと名乗る女性が、私に小声で話しかけてきた。
「わたし、歌手のオーディションに受かったって聞いて。空港まで迎えに来た人がマネージャーって言った。でも、わたし、来たのはこの店だった。ドレス着て、メイクして……。ショーはないよ。お酒、トーク、掃除ね、いつも。ショーはない。お客の接待をしている。わたしもみんなも。でも……」
彼女らは、自分の“本当の契約先”も知らされず、歌手としてマイクを持つこともなかったようだ。ステージと信じていたのは、客に「歌って」とせがまれ笑顔で応対する、ただのカラオケボックス。残酷な現実だ。
街の光に照らされたリサ。派手な化粧をさせられているが、目の下のクマがはっきりと見えた。あまり眠れてないのかもしれない。
「帰りたい。でも、家族に仕送りしている。辞めるは……。だまされたのか。お母さんに会いたい………」
彼女は涙をこぼした。
このようなケースでは、女性たちは“違反者”というより“被害者”であることが多い。しかし制度上、残念ながら彼女たちは「資格外活動」を行ったことになり、場合によっては退去強制や在留資格の更新拒否となってしまう。
もちろん、最も問題なのは、彼女たちを受け入れた無責任な企業だ。申請書には「ライブパフォーマンス」や「ダンスショー」と書かれていたにもかかわらず、実態はまるで異なる“接客業務”だったからだ。
こうした“申請内容と実態の乖離”は、企業にとって重大な違反行為である。入管法上の処罰だけでなく、社会的信用の失墜にも直結する。だが、未だにこうしたことが起きるのも事実なのだ。
その後、リサはフィリピンへ帰国した。
送還前、空港で彼女は最後にこんなことを話していたらしい。
「日本は好きだった。だからまた日本に来たい。でも、今度は本当の歌を歌える場所で」
書類上は“合法”でも、現場では“搾取”
彼女らのようなケースは珍しくない。制度をすり抜けるように設計された“偽装興行”は、今もなお形を変えて存在している。「外国人を雇用する」というのは単なる労働力の確保とは違う。職種や実態はさまざまあれど、そこには、その人の夢や希望、人生が詰まっているのだ。
だからこそ、企業側の責任は重大だ。書類にウソを書き、バレなければ済む話ではなく、そうしたウソが誰かの人生を奪うことになるのだから。
入管の仕事は、取り締まることではなく、本当に守るべき人を見極めること。そして、企業には、偽装を見抜かれるのではなく、信頼され、任される立場となる選択が求められている。
本ストーリーが啓蒙活動の一助となることを切に願う。
終
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